中学社会の歴史で『メソポタミア文明』というものが出てきますね。
チグリス・ユーフラテス川に挟まれた地域で発展した文明のことです。
※『メソ』には『二つのものに挟まれた』という意味があります。
アメリカ大陸と南アメリカ大陸に挟まれた地域で発展した『メソアメリカ文明』というものもあります。
メソポタミア文明で発明されたものは現在でも使われています。
表例は『60進法』でしょう。60は1~6までの約数を持っていることから、分割するのに都合のいい数字ですね。
代の60進法と言えば、何といっても『時間』です。1時間が60分になっていますね。
そして、もう一つ、生活の中に溶け込んでいる文言があります。
それは『目には目を、歯には歯を』の語源となった『ハムラビ法典』です(ハンムラビ法典と記載されることもある)。
今回は、『ハムラビ法典』について、少し考えていきたいと思います。
ハムラビ法典とは
中学レベルでは…
『メソポタミア文明の中で作られた法典』という背景、
『ハムラビ王が作った』という経緯、
『目には目を、歯には歯を』という内容を分かっていれば十分です。
高校の世界史レベルになると、『バビロン第一王朝』もキーワードになりますね。
ハムラビ法典は「復讐法」?
この現代では『目には目を』という言葉は、『嫌なことされたら、同じことをやりかえす』という意味で認識され使われています。
しかし、本来の『ハムラビ法典』は別の意図をもって作られました。
その意図と言うのが『目を潰されたなら、相手の目を潰すまでにしましょうね』というものです。
『やられたらやり返す、倍返しだ!』なんてドラマのセリフにもある通り、やられた側の復讐は行き過ぎることが多いです。
ましてや、相手に非がある場合など、周りの人間も復讐という正義に酔って歯止めが効かなくなることもありますね。
『ハムラビ法典』では、これを恐れて、『刑罰の基準』を作ったのです。
自分が理不尽に受けてしまった『不利益』に対して、相手にどれだけの『罰』を与えられるか。
この基準を作ることで『過度な復讐』や『復讐の連鎖』を防ごうとしたわけです。
『犯罪』に対する『刑罰』をあらかじめ決めておく。
この考えは『罪刑法定主義』と言って、現代の世界の法律の基本中の基本となっています。
なぜ、ハムラビ法典は「復讐法」と呼ばれるのか
最古の原因として、『キリスト教』が挙げられます。「マタイ伝」5章38~40節では、簡単に言うとこう書かれています。
もちろん、これは『解釈』の方法によって変わってきます。布教という事情を考えたら仕方ないのかもしれませんね。
結局、この『解釈』によって、復讐法にもなれば近代的な法律にもなりうるわけです。
要は、ハムラビ法典をどう『解釈したいか』、そして『評価したいか』というところになります。
日本でも、江戸時代には『かたき討ち』が認められていました。
幕府に申請して行うため、かなりハードルは高かったようですが、文化の一つとして存在していました。
そのため『目には目を』の文言は『かたき討ち』の考えになじんだのでしょう。
しかし、実際のハムラビ法典は、『復讐の制限』と考えられますし、犯罪に対する罰を明確にすることによって『犯罪の抑止力』と考えることもできます。
有名な『目には目を』以外の部分を見てみると、お医者さんや理髪師、大工さんの給料や仕事にミスがあったときの『賠償』まで書かれているんですよ。
※『奴隷』に対する扱いには差別がありましたが…時代を考えると当然のことですね。
まとめ
現代の日本では、罪に対する罰則は法律に記載されていますし、その権力を行使するのは国家にあると定められています。
だから、現代の日本の法律に当てはめると『近代的な法律』、時代背景を考えた学術面から考えると『復讐法』と考えることもできる、ということになるでしょう。
夏の自由研究は理科を中心に考えられがちですが、このような社会的歴史的なことに目を向けてみるのも面白いと思いますよ。
コメント
高校では復讐法と教わったのですが違うのでしょうか?
歴史を教えるにあたり、担当する先生の解釈やどう教えたいか(先生の思想)が影響してしまいますね。ハムラビ法典も合法的に「相手に罰を与える」ことを認めているので「復讐法」と言うこともできるんです。学生時代の教育は幅広く大人になってから復習することはほぼあり得ません。そのため、特殊な思想を持った一部の教員が思想を押し付ける問題もあります。
自由研究のテーマにしてみます。